S L A B

S L A B

山下耕平

2024.11.16 Sat - 2024.12.14 Sat

このたび、テヅカヤマギャラリーでは11月16日より山下耕平の個展「S L A B」を開催いたします。

1983年、茨城県に生まれた山下は現在まで京都を主な拠点とし、活動をしているアーティストです。 京都市立芸術大学大学院造形構想専攻在学中より、「遠近」や「現在位置」といった距離感覚を作品の一つのテーマとし、絵画、彫刻、写真、インスタレーションなど、メディウムにとらわれない様々な作品を制作してきました。また、自らが登山という行為を通して得た記憶や体験などの身体感覚を記号的に作品に取り入れる点で一貫した特徴があげられます。

約7年振りとなる今展では、ここ数年の間に山下が関心を抱くようになったという「醜さ」をテーマに制作した新作を中心にご紹介します。

美しさの探求は長い歴史においても藝術の理想とされてきましたが、醜さとは単に美の対極として定義されるものなのでしょうか。これまで山という測りきれないスケールの自然美と対峙し、作品へと転換してきた山下の活動を省みた時に醜さというテーマはやや唐突に映るかもしれません。しかし、醜さについて思索するという事は、私たちが抱える偏見や畏怖の感情といった内面性、あるいは社会の中で排除されがちな存在に目を向ける事と同義であり、逆説的な視点を通して「醜美」といった価値観を超えた先にある何かを探ろうとしていると捉える事が出来ます。

是非、ぜひこの機会にご高覧賜りますようお願い申し上げます。

 

[アーティストステートメント]

僕は怒っている。何かに対して、というわけでもなく、ただ漠然と怒っている。僕の置かれている状況に、なのか。はたまた世界に。政治に。隣人になのかはわからない。動くのもままならない狭いアトリエの中で、ひとり、作品に囲まれながら発狂している。ただ、コロナ禍以前からここ数年間、なんとも言いようのない怒りが僕を動かしていることは確かだ。

映画『インターステラー』の中で登場するブラント教授は、“Rage, rage against the dying of the light.”(消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。)と、ディラン・トマスの『穏やかな夜に身を任せるな』の一節を繰り返し引用している。僕は“Rage, rage, rage.”と一つ多く加えて(つまるところ記憶違いをしていたことになるのだが)、呪文のごとく唱えて暮らしている。

2024年はケンドリック・ラマーとドレイクによるビーフの応酬が、米国を中心に異常な盛り上がりを見せた。ラッパー同士のディスりあいが妙な連帯感や断絶を孕みつつ、熱気と、不満や怒りなど負の感情が蔦のように醜く絡まり合いながら名曲が産み出されていく様子を遠くから目撃した。

近頃僕は「醜いとは何か。」ということを考えている。美しいものと醜いものの違いがわからなくなってきたと表現する方が正しいのかもしれない。たとえば嘔吐、吐き気、錆汁、雑草、鉄屑。

ぼんやりと、黒い塊のディーゼル車が記憶から蘇る。それはおそらく実家で暮らしていた頃に乗っていたマツダ社製のボンゴワゴンだ。たぶん暖色系のラインが描かれていたであろう鉄の重たい自動車が、僕の頭の中でゆっくりと大きく揺れている。

福岡道雄が「何もすることがない」と文字通り刻印した事実が、僕の奥深くに着地し、消えることなく定着し、じわじわと増殖し、いつのまにか「何もつくることができない」という言葉に変容していることにも戸惑っている。

まとまりなく支離滅裂であることを自覚しつつ、今、テキストを書いている。しかし、点と点が繋がることを僕は期待をしていない。僕はご都合主義には期待していない。僕にできることは、すでに在るなにかを並べることしか残っていないのかもしれない。知らないうちに垢のように堆積し、やっと表面化するような代物を並べることしか。

個展タイトルにある「SLAB」とは、厚板であり、石板であり、遺体安置台、缶ビール24本入りケースを意味する語である。気付かれず捨てられそうになりながら、隠され、騙されたりしながらも、しがみ付いた残滓のような平板を僕は今作っている。

2024年9月某日 山下耕平